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はちきんぶる~す

カテゴリ:声をかけませんか?( 1 )

今、そこにいる意味。


私の子供の頃は、学校から帰ってきたら、近所の人が『お帰り~』と、声をかけてくれました。
そして、いたずらをすると、
『こら~!!』
と、怖い顔をして叱ってくれました。

その人たちの笑顔や、怒った顔を、今でも覚えています。
その時の私のそばに、確かに居てくれた人たちです。

よその子なのに、ちゃんと声をかけてくれる。

田舎だからっていうのもあるとは思いますし、少々煙たいくらいにお節介だとも思います。
今でも母の口から
『どこどこの誰々さん』って言葉で、田舎の出来事を話してくれるけれど、
私には、チンプンカンプン。

なにか事件がおきれば、翌日には皆知っていたり、いいことがあれば、境界なくお祝いして・・。
20くらいの頃はいささかしんどいなあと思っていたりもしました。

久々に帰郷すると、懐かしい人たちが声をかけてくれたりします。
でも、怖かった近所のおじさんの背が曲がっていたりします。既に他界されていたりも。

時の流れを感じながらも、私がそこに居たという思い出が、脳裏をかすめます。



今日、テレビで【隣人が集う】と言うテーマの番組をやっていて、それは、世界各国で地道に広がっていると言う事でした。

普段は関わる事も無い、むしろ敬遠する職種の人たちが「この街をクリーンにしよう」という”志”ひとつで、集う。

人種は違うけれど、言葉が違うだけで、家から出ようとしない隣人を連れ出して、ご近所さん顔合わせなんてこともやってる。

私にとっては当たり前のこと。

けれど、いつのまにか、今のような社会もあるんだと黙認してきたような気がします。

けれど、隣に住む人のことも知らないなんて、言葉も交わしたこともないなんて。

このところの事件や、ニュースを見ていると、

無関心な事への警鐘が大きくなっている気がする。以前から言われているけれど・・・。



自分以外、自分の家族以外関心ないですか?
と聞きたくなる。

自分のまわりに目をむける事は、自分自身に目を向けることだと思うし、
まわりの変化は、ひいては、自分の変化。

見ようとしなければ、理解する事も出来ないし、理解できなければ、信じることも出来ない。
逆に信じれない人たちの中で生活するって、怖くないですか?

家の扉一枚、壁一枚隔てて、心も隔てる。

そして、自分以外見ようともせず・・・。


この数ヶ月前まで、ヘッドホンをして、散歩に行ったり、写真撮りに行ったりしてたけれど、けっこう人に会ってるんですよね。
後日、見かけたよって言われて、はっとしました。


いや、いや、音楽聴きながら歩くなって事ではなくて、誰かが声をかけてくれるチャンスだったかもしれないって、私は思った。

声をかけて欲しいんじゃなくて、知らない街ならともかく、知ってる人が居るところでは、やめようと、単純におもっただけ。

最近では、犬の散歩しながら、近所の小学生に
『おはよう』って声をかけるようにしているんです。

そしたら、びっくりした顔で、無言で立ち去る子、会釈する子、か細くても返事してくれる子、様々ですけれど、続けようと思います。



そう、私があの頃あの場所に居た証のように・・・。
by swingbebe | 2008-06-17 22:56 | 声をかけませんか? | Comments(2)

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